東京の「カオス感」について考えてみた。前編

隠居系男子の鳥井さんの記事、「日本の良いところはカオス感だと言うのは、言語化をサボっているだけ。」を読んで、東京を描写する際自分もよく「カオス」という言葉を使うことに気づき、ちょっと考えてみようとTwitterでつぶやいてしまったので、考えてみます。

 

いろいろ考えてみましたが、結局「言葉では表現することのできない、ぐちゃぐちゃ五感に訴える感覚」なんだろうなーというのはなんとなくわかっているので、それを少しでも言葉にする努力をしてみます。

 

僕は、自分が東京に住んで「これはカオスだ」と感じたシーンをできるだけ具体的に抽出して、そこから何かをあぶり出して抽象化してみようと思います。以下に挙げる例は、「僕が」感じる東京のカオス感についてです。日本のカオス感だと、あまりにも命題が重すぎて多分結論なんて出ないと思います。

言葉にするっていうのは、エッセイストの方などは言葉の量も多いし色使いも上手なので、うまく表現できるんだと思います。でも僕の場合かなり脳をフル回転させないと思考を言葉にできません。というより、思考はやっぱり言葉に支配されていますね。

 

●スクランブル交差点を四方八方から誰とも知らぬ人々がぶわわわぁーっと行き交い、それが意味も無く延々と繰り返し。外国人ははしゃいでるし、夜にはどろどろ人間臭さが溢れ出す渋谷。色で言うと黒ずんだ灰色。たまに蛍光ピンク。

 

●1日に平均75万人の人が利用する新宿駅。まっすぐ歩けない。出口がわからない。迷う。焦る、走る、ぶつかる。金曜の夜には駅ホームに必ず何人かベロベロに泥酔してる。嘔吐だらけで電車は超酒臭い。たまに自分もふらふらしてる。

 

●神田を過ぎると、いきなり目の前にギラギラしたSEGAの看板とばかでかいパチンコ屋さんと焼き肉屋とラオックスと萌え萌えアニメと大音量のアニソンと、通りでぶりぶりしてるメイドさんとメカメカした電機部品とドンキホーテとAKBとガンダムと数え切れない外国人が共存してて、とにかく異世界感ハンパない。超うるさいし、ビカビカのライトアップがされてあちこち萌えキャラだらけでしばらく歩いてるともう上野公園っていうこの感じ。

 

●通勤時の、負のオーラが目に見えるんじゃないかってくらいどよーーーんとしてて、全員ロボットみたいにスマホいじりながら下向いてて死にそうなほど重苦しい空気の電車内と、居酒屋で見せる超どやどや騒ぐ真っ赤な顔した人たちが同一人物っていうその有り様。

 

●高層ビルが並ぶモダンでスタイリッシュな丸の内。できる男とできる女だらけでせかせか忙しいその都会を抜けると、突然平和で静かな皇居が現れ、心に平静を取り戻して後ろを振り返った次の瞬間、高層ビル群が絵はがきのように美しく並んでいるという正反対の両者が同居している不思議な感じ。

 

●新宿思い出横丁、恵比寿横丁、のんべえ横町、有楽町ガード下、上野御徒町…。赤提灯とおじさんとお姉さん。がやがや。あー俺って日本人だなーと思う瞬間。

 

●すぐ目の前に、サンマルクカフェ、ドトール、ベローチェがあって、そっちの方が安くて、全然混んでないのがわかっているのに、レジにも席待ちにも行列作っているスタバ銀座マロニエ通店。みんなあっち行けよーと思いながら自分も並んじゃってるこの感じ。日本のスタバ力はすごい。

 

●特に当てもなくぶらぶら。下北沢や笹塚、幡ヶ谷、代々木八幡らへんをオレンジの夕日が包んで、独特のにおいと懐かしさがぶわぶわぶわっと襲う瞬間。東京で生まれ育ったわけでも無いのに、まるで30年ぶりにふるさとに帰ってきた様な感覚に襲われる。すごく懐かしい。10分電車に乗れば渋谷新宿なのに。

 

 

多分、これで全部ではないです。きっとその瞬間襲われた「カオス感」を忘れてしまっているだけで、もっとあるはずです。そもそも言葉にしづらい感覚を具体的に書き出すことすら難しかったです。

 

MATCHAのコンテンツを作り上げていく上で、「日本を知る」ことは最大のテーマです。先日の向井万起男さんについての記事じゃありませんが、自分の感受性はとことん掘り下げて結論に近づける。そうしていく過程で、日本の価値がきっと見えてくるんだと思います。

次回これらの具体例を抽象化して言語化して落とし込んでいきます。ブログに書くことで、自分の整理ができてます。

日頃感じる「カオス感」の正体はなんなのか、後編もお付き合いくださいませ。