約1ヶ月に及ぶ東南アジアの旅を経て、いったい僕が日本という国を離れている間に、世の中はどのように変わったのだろう、なんてちょっとばかり大げさな問いかけをしてはみたものの、なんだ、やっぱりいつもの日常があるだけじゃないか。
電車に乗って、スマホをいじり、ぶらりと久々の渋谷を散歩して、家に帰り、シャワーを浴びて、エアコンを付け、布団に入る。
ずいぶんつまらなさそうな1日だな、なんて思われるのかな、いやいや、それが死ぬほど面白いんだってば。
2012年夏にフィリピン留学を終えたあと、『東京ユートピア』という本に出会った。著者の寺田悠馬さんは、16歳で渡米し、米系投資銀行や香港のヘッジファンドを経て国際的に活躍されている。今回も帰国後、どうしてもすぐに読みたくて、真っ先に本棚から引っ張り出した。ASEAN10ヵ国のうち5ヵ国を回り、「日本」という国を普段よりは客観視できる今だからこそ、「日本人」としてのDNAの奥底に眠る感覚を刺激するような鮮烈な何かを与え、まぐれでホームランを打ったんじゃなくて、素振りを10000回してホームランを打った後にわかる素振りの価値みたいな、決して忘れてはいけない大切なことを教えてくれた。
まあ、何を言っているのかさっぱりわからないだろうけれど、とにかく、先見の明に長け、示唆に富んだ良本である。
寺田氏は、日本という国と日本人の特異性について語る。
僕も、彼に共感する場面は少なくない。
そもそも、日本人は何かに対していちいちこだわりがすごい。
電車の時刻は世界一正確で、たった数分遅れただけで車掌が謝り、遅延証を発行する。蛇口をひねれば当たり前のようにお湯が出たり(海外では、高級ホテルでさえお湯の出が気まぐれだったりする)、お店の店員さんのサービスは損得勘定を孕むことなく丁寧である。コンビニのトイレにはお掃除チェック表なんてのが垂れ下がっており、タクシーのドアは魔法のように自動で閉まる。そういえば、空港でチェックインした荷物が、綺麗に並んでいるのも日本だけだった。
え?当たり前じゃん、なんて思うんだけど、多くの日本人は自分たちがあまりにも特異であることに気づいていない。
氏は、そこに危機感を抱く。日本人は、そのあまりにも特出した日本のよさを、海外に発信することが不得意だと説く。そしてそれが、日本という楽園を、将来的に崩壊させかねないと示唆している。
本の紹介はほどほどにしておいて、そんなことを考えながらスクランブル交差点に差し掛かったとき、あ〜、ほんとだ、渋谷は世界一カオスな街だな、ということを身にしみて実感したのである。
前に「世界不思議発見」で「夢の街SHIBUYA」という(確かそうだったと思うんだけど)特集をやっていた。へー、異国の神秘みたいなのを専門に扱うのかと思ってたけど、面白いことするなあ、なんて思ったのを覚えている。
どうやら渋谷という街は、世界でも有数の「不思議な」街らしい。特にスクランブル交差点は、かの有名なロンリープラネットでも大きく取り沙汰されるほどの観光名所となっており、外国人にとってあそこを渡ることは生涯の夢のようだ。確かに、よくよく見てみるとたくさんの外国人が三脚を立てて動画を撮ったり、パノラマ撮影をしているのだ。
なぜ不思議なのかというと、ありとあらゆる人間が、四方八方から異なる行き先に向かって淡々と歩く姿が、あまりにも詩的だからだ。
彼らはどこからともなく現れて、渋谷という街に彩りを与え、どこかへ消えてゆく。夜にはまぶしいほどのネオンが眠らない街を演出し、やまない騒音が時の経過を忘却させる。彼らは洋服というベールを身にまとい、自己の表現に気を狂わせる。
一度に幾千もの人間が混じり合う路上には、無限の表情と感情が踊る。
もちろんそこには、僕も含まれるしあなたも含まれる。その個々が、実は時のワンシーンを飾る立役者なのだ。
そしてそれが、渋谷という街の最大の魅力なのだ。
今回の旅を経て、改めて強く思うことがある。
僕は日本が好きだ。東京が好きだ。
田村耕太郎氏は言う。「日本人に生まれたことは金メダル」であり、「日本人は世界の人気者」であると。
それは本当のことだ。日本のパスポートは世界最強と言われ、日本人のことをよく思ってくれる人はたくさんいた。
しかし、これからの経済や政治がどうなっていくかは僕たちにかかっている。
日本を背負うのは、僕らだ。
真新しい目線で、より外から内を見ることができるようになった今だからこそ、日本と日本人の特異さを認め、その良さや強さを如何にして世界に発信していけるのか、それを日々考えている。
そしてそれは、意外と些細なことである場合が多い。
大好きな夕方の散歩中に感じる、あの東京の下町の独特な雰囲気。少しぬくいオレンジ色の日差しに包まれて歩が進み、ちょうどひとやすみしたいところで自家焙煎の美味しいカフェがある感じ。
だって僕が知る限りでは、そういうお散歩をしたくなるような場所は、東南アジアの国々ではすごく限られている気がするし、ちょうどいいところにカフェがない。あってもまずい。
日本酒の味を、飲んでその味覚を相手に分けてあげられるくらい、達者な英語力を身に付けて、日本の食やこだわりを細部まで言葉で伝えようとするのだって、立派な日本の発信だ。
そして日本の良さをますます理解するために必要なことは、今すぐ海外に飛び出すことだ。
もっともっと多くの国を見て、たくさんの人に触れること。そうすることで、より深く自分の内面や自国を顧みることができる。
まとまりきらないが、自分をさらに成長させ、新たな目標を与えてくれた今回の東南アジアの旅には、本当に感謝している。
これほど充実した時間を過ごせる機会は、なかなか無いだろう。
もっとも、僕はこれから海外に飛び出して、もっとたくさんの幸せと挫折に、恵まれる予定なのだけれども。