10日間の情報遮断。ヴィパッサナー瞑想修行(京都)で得たこと

9/1〜9/12の期間で、京都にヴィパッサナー瞑想修行に行ってきた。

ヴィパッサナー瞑想の存在を初めて知ったのは、7年前にMATCHA代表の青木さんのブログを読んだとき。こんなのがあるのか!と衝撃を受け、自分もいつかは体験してみたいとずっと思っていた。新たなスタートを切るタイミングで、自分とじっくり向き合う時間を作りたいと思っていたので、2ヶ月ほど前に申し込むことを決めた。

最近では、健康志向の向上や瞑想の実態がヨガなどに近いということもあり、周囲にも実際にやったことのある人が増えてきた。「ヴィパッサナー」とは「ものごとをありのままに観察する」という意味で、ここでは特に「自分の呼吸を客観的に観察し続ける」ことを意味する。2,500年以上も前にインドでブッダが説いたとされ、単なる宗教的な儀式や儀礼ではなく、今なお世界中に伝わる「生きる技」であるとされる。

生涯忘れられない体験と学びが得られたので、感じたままに記録しておきたい。

 

ヴィパッサナー瞑想修行とは

そもそもどんな瞑想修行かというと、「シーラ」と呼ばれる5つの戒律を守りながら、「聖なる沈黙」と呼ばれる、すべての情報とコミュニケーションが遮断された10日間のコース期間中に、指導されたとおりにひたすら瞑想を続けるというもの。誰と話すことも許されず、身振り手振りによるコミュニケーションも体の接触も許されない。紙やペン、本などもコースが始まる前にすべて預ける。もちろんiPhoneも。※細かいコース規定はHPにて

すべての情報から遮断されるので、雨風が続くなーとは思っていたが、それが台風だということも知らなかった。

シーラ(道徳律)

1. 生き物を殺さない。
2. 盗みを働かない。
3. 一切の性行為を行わない。
4. 嘘をつかない。
5. 酒・麻薬の類を摂らない。

スケジュール

1日のスケジュールは世界共通で以下のようになっている。

4:00  起床
4:30  瞑想
6:30  朝食
8:00  瞑想ホールでグループ瞑想
9:00  瞑想
11:00  昼食
13:00  瞑想
14:30  瞑想ホールでグループ瞑想
15:30  瞑想
17:00  ティータイム ※初めて参加する人のみ
18:00  瞑想ホールでグループ瞑想
19:00  講話
20:30  瞑想
21:00  質問
21:30  就寝

単純計算で、1日に12時間ほど瞑想をする。睡眠時間も含めると、18時間は無言で目を閉じている期間が約10日続く。

左:宿舎、右:食堂

右の建物が宿舎。ベンチに座って、この景色は何度も見た。

 
京都の宿舎は、1部屋あたり2〜6人の共同部屋。瞑想ホールでのグループ瞑想の時間以外は、ホールで瞑想しても、自分の部屋でしても構わない。人によって修行の進度やストイックさが違うので、自分の部屋で瞑想できる時間は昼寝をしている人もいた。僕は朝4:30からの2時間の瞑想はホールでと決めていたが、何度も眠気に負けて瞑想しながら寝てしまったり、耐えられなくて布団に戻ってしまった時もあった。

食事は1日に2食で、ベジタリアン。「生き物を殺さない」という戒律があるため、肉も魚も使わない。卵もない。味は薄味で、最初は味噌や塩をかけていたが最後は舌が慣れて必要なくなった。終わった後京都タワーのフードコードで中華ネギラーメンを食べたが、味が濃すぎて舌がピリピリした。はじめは1日に2食なんて耐えられないと思ったが、慣れてしまえば意外といけた。痩せるので、ダイエットにもいい。食べる量、食べるもの、食べる時間が毎日ほぼ同じだったので、大便が出る時間はだいたい朝の6:55から7:05の間だった。

飲み物は、水、麦茶、牛乳、コーヒー、紅茶など。初めて参加する人は「新しい生徒」と呼ばれ、その人たちは夕方のティータイムでバナナやリンゴなどの果物が与えられる。

トイレや洗濯は、休憩時間中に行う。洗濯はバケツで手洗い。蛇口は水道水と谷水の2つがあり、節水を心がける。

休憩中はやることがなく、暇で暇で仕方がないので、1日に5回くらい歯を磨いた。いつもより相当丁寧に磨いた。クモの巣を観察したり、カナヘビを追いかけたり、四つ葉のクローバーを探したりした。葉っぱごとの葉脈を見比べたりもした。外には1周50〜60mほどの小さな庭があるが、10日間で300周は歩いたと思う。雨も風も関係なしに歩いた。1周するごとにアイデアが浮かぶ気がした。

砂利道の上を歩く

このベンチに寝っ転がったりしていた

 
大事なことを書き忘れたが、コースは基本的に全てがボランティアで運営されていて、料金はかからない。ダーナと呼ばれる、参加者からの寄付金だけがコース運営や施設財源となる。

 

日ごとに感じたこと

個人差があることなので、参考までに読んでもらいたい。

1日目〜3日目
ヴィパッサナー瞑想の前段階である、アーナーパーナー瞑想法というのを修行する。簡単に言うと、鼻の穴と唇の間に感じる呼吸にひたすら意識を向けるというもの。足がしびれて痛くて耐えられないので、1時間のグループ瞑想中にも何度も姿勢を変えないともたなかった。この段階では、体に感じるものは特にない。頭の中は雑念だらけで、初めはうまく集中ができず、ただ、1日が長いなーと思い続けていた。

4日目
初めてヴィパッサナー瞑想の講義を受ける。足に激痛を伴っても、初めて全く動かずに1時間耐えることができた。これはもう体験してもらわないと伝わらないのだが、心と体は切り離して考えることができると学び、自分(体という感覚)が限界を作り出してそれに心が反応していただけで、心をコントロールできれば痛みを感じなくなる。信じられないと思うが、全く感じなくなる。ヴィパッサナー瞑想の神髄である「平静な心で自分を客観的に観察する」ということの意味がわかるようになる。結局限界を決めつけているのは自分だということがわかった。

5日目〜6日目
4日目の感覚が続き、ちょっと飽きてくる。このくらいで、まだあと4日もあるのかーと長さを再認識してちょっと萎える。

7日目
ヴィパッサナー瞑想の第2フェーズの修行法を教わる。簡単に言うと、体全身を5cmくらいの間隔で意識をずらしながらスキャンしていき、意識を動かしていく。すると体中に、熱いとも冷たいともいえない、エネルギーの気泡のようなものに包まれている感じを覚え始める。人によって様々な表現をしていたが、水風呂に入って体に膜ができる感じの100倍くらい強いエネルギーを感じる。めちゃくちゃ気持ちよくなる。

8日目以降
この感覚は、集中すればすぐに体に出るようになった。雑念も、出てこなくなる。どこにエネルギーを感じるかコントロールができるようになった。
ここから先は、人によって進度は様々で、体の表面にエネルギーを自由に感じられるようになったら、次は体内にまで広がり、「バンガ」という状態になると内臓まですべて見えるように感じ、すべて融解して内臓が全部溶け出してしまうようになるらしい。もはや感覚というものは何もなくなるらしい。僕は悟りに達するまでには至らなかったが、ただひたすら気持ちよかった。

10日目
はじめはフラットな座布団から始めて、足が痛くなって継ぎ足して座高を高くしていったが、最後にはまたフラットな状態でもできるようになった。

朝9時くらいに「聖なる沈黙」から解放される。ヴィパッサナー瞑想は、心の奥深くまで手術するようなものなので、現実世界に戻る前にワンクッション挟むため、一緒に頑張ってきたメンバーとのコミュニケーションが許される。自然とみんな笑みがこぼれながら話した。みんな想像以上に物腰が柔らかかった。10日も一緒にいたし、同じ部屋で寝ていたのに、横顔しか見たことがない人が大半だったため、この人はこんな顔をしていたのか!という発見や、勝手にこの人はこういう仕事をしてそうな人だなとか、この人は多分何歳だろうなとかいろんなイメージが壊されて、人は見た目で判断してはいけないなぁと改めて感じた。

帰り際の参加者たち。建物は食堂。1Fが女性で2Fが男性用。

 
台風が去り、虹を見た。木々の輪郭がはっきりと見える感じがして、黄緑が鮮やかに見えた。

11日目(最終日朝)
久しぶりにiPhoneに触れたとき、ものすごくゴツゴツした大きい感じがした。指がディズプレイに触れる感覚に違和感があって、文字が3分くらいぼやけた。

 

問題は、いつも自分の中にある

この10日間、本当にたくさんのことを考えた。浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。

ものすごい数の夢を見た。1日に10個くらい。10分くらいの短編が、連続的に続く感じ。鮮明なものも、笑えるものも、エロいのも。普段考えてたことが一気にあふれ出てきて、頭の中の余分なものが漂白されたような感じ。同じ部屋にいた1人が、毎日のように寝言を言ったり夜中に突然笑い出したりしてちょっと怖かったが、同じように夢を見ていたんだと思う。

思ったことを忘れないうちにすべてをアウトプットしようと、京都市内に戻る電車でPCに殴り書きしたら、1時間で4,300文字になった。
あの人に連絡しよう、あそこに行こう、これをしよう、あれをしよう。全部やろうと思う。

そんな中ひとつだけ、自分の中で何度も何度も繰り返された言葉がある。それは「問題は、いつも自分の中にある」ということ。ヴィパッサナー瞑想を通じて自分を客観的に観察すると、自分の奥深くに眠っていた汚濁が表に出てくる。課題が出てくる。これだ!という瞬間がある。それこそがこの体験から得られる最大の成果であり、価値だ。この言葉は、今後の自分にとって大切なものになると思う。

 
ひとたび瞑想を終えて京都の町を歩いていると、まるでこの10日間が空白だったのではないかと感じるくらい、何事もない日常だった。でも、同じ部屋にいた方が「今は頭では何も変化を感じないからこそ、ふとした瞬間に思い出すことがものすごく重要なのかもしれないね」と言っていて、自分にはなかった感覚なので、印象に残っている。

ヴィパッサナー瞑想は、想像以上に健全で、理論的で、普遍的な内容だった。日常生活や仕事からは学ぶことのできない、生きる上でとても大切なことを勉強した気がする。

素直に、人に薦めたいと思える素晴らしい体験だった。

本当はインドに1ヶ月行くつもりで、その間にやるつもりだったが都合が合わず。インドを長期で周ったという人はみな口をそろえて「今はきっとインドに呼ばれてないんだね」と言っていた。インドは、タイミングが来たらゆっくり行こうと思う。

その時は、どんな新しい衝撃を受けるのか今から楽しみで仕方がない。