3.11から5年。忘れないために原体験を書き残しておくこと

FullSizeRender 17

3月11日午後5時2分

FullSizeRender 14

FullSizeRender 16

FullSizeRender 13

とあるお寺の母屋。Before

FullSizeRender 15

After

FullSizeRender 18

大型車を入れるための道を家まで作った

 

3.11を忘れないために

今日で東日本大震災から5年。僕は宮城県仙台市の出身で、上の写真は被害の大きかった地域に住んでいた高校の友達の街に、つなぎを着て、自転車でスコップを担いでボランティアに行ったときのもの。ちょうど春の高校野球の時期で、ラジオを流しながら必死に泥を掻き出したのを覚えています。震災を忘れないために、一生取っておきたい写真です。

震災の日は、たまたま東京に浪人して受ける大学を下見に来ていて、僕は東京で被災しました。あの日の朝は一橋大学を見に行って、構内のベンチの上に財布を忘れました。午後は東大を見に行きました。僕は駒込駅の近くで最初の揺れを感じました。すぐさま祖母に電話をかけ、母にかけました。どっちも奇跡的に繋がり、2人の無事を確認しました。仙台は停電で、テレビが見られなかったようですが、そのとき東京では既に津波の映像が流れていました。電話で母に「津波がやばいよ!!」と伝えても、パニックになっていた母は自分の財布や免許をすべて会社の中に置いたまま出てきてしまったことばかり繰り返していて、津波のことは全く知りませんでした。

仙台に帰れなくなってしまい、東京に住んでいた高校の先輩の家に5泊くらいお世話になりました。

はじめて線路の上を人が歩いているのを見ました。

いつもは他人のことなんか全く気にかけない、死んだような東京の電車ですが、はじめて人と人が協力し合っているのを見ました。僕も近くの人と協力し合いながら歩いて帰りました。仙台出身だと伝えると、「家族は大丈夫なのか!?」と本気で心配してくれました。

たまたま一緒のバスで東京に来ていた中学の友達がいて、その子の助けを借りて新潟経由で仙台に帰れることになりました。仙台に帰れる唯一かつ最短の方法で、東京から東北に帰る人の中でも最初のほうに帰れたのでテレビの取材を受けました。

新潟にその子の親戚がいて、あったかいお風呂とご飯を用意してくれました。「新潟中越地震のときは東北の人に助けてもらって、お互い様だからな」と言われたのを今でも鮮明に覚えています。早く帰って家族に会いたくても会えない孤独な僕にとっては、涙が出るくらい嬉しい言葉でした。

新潟のコンビニで大量の水と食料を買い込み、バスで仙台に帰りました。帰った直後の仙台市内は、閑散としていて全く人がおらず、道は所々隆起していて、まるで死んでしまったかのようでした。有川浩の「塩の街」を見ているような風景でした。

それからのことは正直あまり覚えていません。誰と話したか、何をしたか、何を失ったか、何を思ったか。あのときちゃんと書き残しておけば良かった。細かいことは書き残しておかないと忘れてしまいます。

 

もう一度読みたい立教新座高校の校長メッセージ

震災から5年。あのときも、高校を卒業したひとつの節目の年でした。そして今、大学を卒業し、新社会人になろうとしています。そんな今だからこそもう一度読みたいのが以下の記事。

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(2011.3.24)

当時かなり話題になりました。今読み返すと、あのときの気持ちがよみがえって胸が熱くなります。

未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

(中略)

君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 

あの日を忘れない努力

僕は、大きく被災した県に住みながらも、直接的に甚大な被害を受けたわけではありません。家族は無事だし、家も無事でした。だから余計にもどかしい。東京で地震にあったこともあり、被災地域に住みながらなんとなく外部にいるような気分になっていまいます。

今日は、街のあちこちで東日本大震災に関するニュースを見聞きし、いろんな方がいろんな復興のための活動をしているのが見えます。

東京に住んでいると、やっぱりどこか他人事のように思ってしまう自分もいます。

 

だからこそ僕にできることは、3.11のあのときを忘れない努力をすることなのかなと思います。立教新座高校の校長のメッセージを毎年読み返すのは、忘れないようにするためのひとつ。2年前には、まだ全開通していない仙石線に乗って、臨時バスに乗って、東松島や石巻を見に行きました。

 

未だ復興が進まず、苦しんでいる人や地域があります。少しでも自分にできることをしよう。今生きていられることに感謝して、今日という日を過ごそうと思います。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です